2008年5月19日月曜日

Shimamura

江戸にぽつぽつと飲食店ができたのは、明暦3年頃のことで、浅草の待乳山聖天前に、奈良茶飯屋が出たのが最初だといわれています。当時できたお店は職人や大衆相手の一膳飯屋で、茶飯に漬物などを出していました。以降は人口の増加とともに、飲食店もどんどん増えていきました。料理屋や飲食店が最も多くなったのは、安政年間です。安政6年に発行された料理茶番付をみると、184店も出てきます。そしてその番付の一番高い位である「勧進元」には、「八百善」、「平清」そして「嶋村」が名を連ねています。このような番付は、当時いくつもあったようですが、八百屋善四郎の「八百善」は常に「勧進元」となっており、「平清」や「嶋村」も「勧進元」、あるいは東西の大関に位置されていました。この3店が江戸の超有名店だったわけです。「嶋村」は12代将軍・徳川家慶の時代、日本橋に仕出しの店を構えました。初代の嶋村善吉は、天性の名人と言われたほどの料理人だったので、たちまち諸藩留守居役の目にとまり、大名屋敷に出入りすることを許されます。その後、座敷を備えた料亭を構え、のちに江戸城西の丸御用も務めたほどです。明治、大正時代になると、各界の著名人たちが「嶋村」をひいきにしていました。伊藤博文、井上かおるなど、明治政財界の重鎮です。大正、昭和では獅子文六、久保田万太朗、田山花袋、長井荷風といった文筆家、歌舞伎役者たちも訪れたようです。その「嶋村」は、現代も東京都中央区に生きています。外観はこじんまりとしていますが、雰囲気のある店構えです。板場にはおおくの料理人がおり、板場の親方である青山さんを筆頭に、立板、煮方、追い回し、洗いがいて、合計5人で切り盛りしているそうです。創業160年の歴史の重さをしっかりと継承しているということですね。この老舗の有名な会席料理である「幕末会席」というものがあるのですが、こちらは土曜日限定30食のみで要予約です。そのレシピは幕末当時、武士階級を中心に食べていた料理についての資料を調べたり、さらに「嶋村」に伝わっている当時の料理秘伝書を生かしたりして再現したものだそうです。

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